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目からウロコの 政治学入門

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目からウロコの政治学、権力の効率化

総論(問題の所在)

 前回は政治、権力の概念についてお話しました。今回は権力者がどのような方法で容易に権力を行使しているのか、権力の効率化についてお話します。

 ところで、この国の最高権力者って誰?憲法をちょっとでも勉強している人なら国民って答えるでしようね。でも、それはあるべき姿っていうか建前。そういうのを規範論っていいます。政治学は現実にある事実を事実として分析していく学問。だから法律学とは違って規範論は通用しません。

 実態として、現実として誰が最高権力者かと言うと内閣総理大臣かな。内閣総理大臣は自衛隊の最高指揮官だよね。そして警察の総元締めでもある。そこらへんの警察官のボスは県警の本部長で、県警の本部長の親分は警察庁長官、警察庁長官の上司は内閣総理大臣ってなわけ。まぁ、内閣総理大臣は自衛隊と警察っていう物理的強制力を有しているんやけど、彼は自衛隊や警察をちらつかせながら権力を行使しているわけじゃないよね。関係論の立場で行使してるでしょ。総理の言うことだったら聞かざるを得ないって感じでね。

 何で警察や自衛隊を権力を行使するにあたって使わないんだろうね。勿論使ってる国もあるよね。政情不安の国はそうでしょう?むきだしの銃を持った兵士がうろうろしてる。日本では自動小銃を担いだ人なんかまず目にしないよね。自衛隊のパレードのときくらいかな。俺の家の近所の交番なんか警官がいるのを見たこと無いからね。以前その交番に用事があって行った時、誰もおれへん。そんで机の上に張り紙がしてあって、「ご用の方は下記まで。」なんて電話番号がかいてある。何のための交番やねんって腹が立ったけど。

 なんでかな。要するに権力者が物理的強制力を使うのはコストがかかるんだよね。だから、権力者はなるべくなら、警察や自衛隊、というか軍事力をもってせずに、関係論的に権力を行使したいわけ。実体論でもって権力を行使するのは権力コストがかかるわけ。だから、関係論的にコストをかけずに権力を行使すること、すなわち権力の効率化が問題となる。


権威について

 権威というものがあれば強制力がなくても権力を行使することができる、即ち権力の効率化を図ることができるって言われてる。じゃあ、権威って何か。H.サイモン(ハーバード・サイモン)は「他人からの指示内容をその正しさを吟味することなく受容すること。」と定義しています。どういう意味かといえば、例えば他人から命令を受けた場合、そんなことしていいのかな、それが正しいのかな、なんていちいち考ぇないで言われた通りにすること。これが権威ってやつです。みんな権威って感じたことある?医者なんか病気の権威だよね。病院に行って医者から「あなた風邪ひいてますね。」って言われたら、「あー、そうなんだ。」って素直に思うでしょ。「俺、ホンマに風邪ひいてるの?嘘くせぇなあ。」なんて医学辞典かなんか引っ張り出して調べたりせんよね。もし、権力者が権威ってやつを持ってたら彼にとっては便利だよな。「あなたは、赫々然々(かくかくしかじか)だから、こうしなさい。」って言うと、「あ、そうですか。わかりました。」って聞いてくれるからね。メチャメチャ楽チンだよね。

 他にない?権威ってやつ。例えば辞書っていうのは権威でしょ?何か分からんことがあって、辞書で調べたらそこに書いてあることを信じてしまうよね。それはその辞書が権威ある辞書だからだよね。

 他には?かつては「報道の権威はNHKだ。」なんて言われたもんです。先日の鳥取の地震なんかでも地震直後はNHKにチャンネル合わせた人、多かったんちゃう?みんな何か大事件が起こるとNHKをみるわけ。NHKのニュースの内容が正しいかどうかなんて、いちいち調べないよね。こういうのも権威。

 余談だけど、大橋巨泉の影響を受けた久米宏がNステを始めてから、ニュースがニュース番組になっちゃったんだよね。まぁ、リラックスしてニュースを楽しめるっていうのはええことだと思うけど、キャスターやコメンテーターのコメントってかなりいいかげんだよ。法律の話なんか結構間違ってるね。滅茶苦茶な時ってあるよ。まじで。特にニュース23はひどいね。木村太郎っていうおっさん、おったでしょ?今もおるんかな。最近見てないけど。あいつは特にひどい!!何がどうひどいかは機会があったら話したいと思うけど。まぁ、僕は法律に関して詳しい積もりやからコメンテーターのコメントの出鱈目を見抜けるけど、経済とかは詳しくないから結構騙されてしまうかも。みんなもコメンテーターのコメントなんか信用したらいかんよ。その点、NHKは余計なコメンテーターがおらんでしよ。事実だけを淡々と述べているよね。そこがええよね。予断が入ってこないから。

 まぁ、権力者は、権威を身に付けることによって権力の効率化を図ることができるわけだ。じゃぁ、権威の基底には何があるのか、権威の本質って何か、問題になる。だって本質が分からんかったら、権威を身につけようがないでしょ。

 医者の言う事は何故素直に聞けるのか。辞書に書いてあることは何故鵜呑みにするのか。NHKのニュースを信じてしまうのは何故か。それは正しそうに見えるから。医者が言ってるんだから間違いない。辞書にこう書いてあるんだから正しいだろう。NHKだから本当だろう。これが権威の源泉です。

 ところで、権威を身につければ人は強制しなくても従ってくれる。さらに自分が他人に命令されていることすら気づかない。自分自身は主体的に正しい方向に行動していると思ったりさえする。ここまでくれば権力者は万全。こんな楽な支配はないよ。権力者はこれを目指しているわけ。このような状態を支配服従の内面化という。みんなはどう?内面化されてしまってる?(笑)。


権威の媒介

 さて、権力の効率化には権威が必要だということです。では、その権力者には権威があるということを我々に伝える道具、即ち権威の存在を媒介するものは何でしょうか。(1)シンボル、(2)正当性、(3)威信、この三つがあります。では、この三つについて説明していきます。


シンボル

 日本のシンボルって何?日の丸と君が代と憲法1条によれば天皇ってことになるよね。シンボルって日本語だと象徴。何かが何かを端的にあらわすのがシンボルってことだよね。図柄でもいいし、言葉でもOK。オリンピックなんかの表彰式で日の丸が掲揚されて君が代が流れると、日本を実感するでしょ。大抵の人はね。そういうのがシンボル。天皇ってのは自分の体で日本を表現しているんだよ。そう考えると天皇って大変な仕事だよね。人格からして改造されてしまうわけだ。例えば天皇がスキンヘッドで、タトゥー彫って、乳首にピアスして、ハーレーダビッドソンなんかを乗り回してたら都合が悪いわけよ。国家としては。だから、小さい時から象徴としての躾を叩き込まれているわけ。可哀想だよね。ある意味。だからホンマはヒゲはやすのもイカンらしいよ。ヒゲ生やしてる宮さんおるけど、あれも結構、宮内庁と喧嘩したみたいね。アカン、天皇ネタは話し出すと長いのでもう止めます。憲法なんかで天皇制のところとか話すとホンマ脱線してしょうがないのよ。(笑)

 えーっとこのシンボルについてですが、学問的に分類していきます。分類したのはC.Eメリアム(チャールズ.エドワード.メリアム)。アメリカのシカゴ学派の先生です。彼はシンボルをミランダとクレデンダに大別した。

 まず、ミランダですけど、これはシンボルの中でも人間の神秘的、情緒的、非合理的側面に作用するものを指します。例えば、国会議事堂って見たことある?写真じゃなくて実物。初めてみるとなんか「お〜、ごっついなぁ。」って感じやねん。最高裁判所もそんな感じ。威圧感ただよってんねん。法務省の建物もそう。法務省の建物は最近再建されたんだけど、めちゃバロック調なんや。ここは何処?中世のヨーロッパ?って感じ(笑)。非常にいかめしい。他の官庁で再建されたのは普通のビルなんやけど、法務省だけ違うの。それは法を司る役所の建物はいかめしくして、国民を威圧させるっていう意識が働いているんだろうね。建物の他には、軍事パレードなんかもそう。国旗、国歌、天皇もミランダに分類される。

 それに対して、クレデンダは人の知的、合理的、側面に作用する。理論だとか、イデオロギーなんかがそうです。まあ、理論って言っても抽象的なんだけど、代表制とか民主制なんてのがそうだろうね。「あの人は選挙に当選したから、正しいんだ。従いましょう。」みたいな感じ。或いはイデオロギーってのは、「共産主義は素晴らしい。だから、共産党の委員長の言っている事は正しい。だから従いましょう。」こんな感じで権威を媒介しているわけ。

 ミランダってのは人間の「おー、すごい!!」っていうのに訴えて、一方クレデンダってのは人間の「うーん、なるほどな!!」っていうのに訴えるわけね。


正当性

 権威を媒介するものの二つ目。正統性とも言います。この正当性というのは理論的に正しいという事ではなくて、倫理的に正しい、或いは動機において正しいってこと。理論的、結果的には正しく見えるかどうかってこと。正しく見えれば正当性があるってことになる。だって、正しさとか真実とかって分からないでしょ。だから人々は正しそうに見える、ホンマっぽいっていうことを拠り所にしてしまうわけ。正しく見えるって非常に大事なこと。

 さて、この正当性だけど、M.ウェーバー(マックス.ウェーバー)の分類が非常に重要です。彼はドイツの社会学者です。彼は正当性を(1)伝統的正当性、(2)カリスマ的正当性、(3)合法的正当性の三つに大別しています。


伝統的正当性

 伝統に基づく正当性。昔からこうやってるからただしいって感じ。伝統、習慣、慣習、しきたり、こういうものに則っているから正しい。こういうのなんかあります?天皇制なんてその極みだよね。だって天皇なんて偉くもなんともない。単に昔からその一族が存在しているだけの事でしょ。もし、天皇が偉いとしたらそれは彼の創られた人格によるものだろうね。学生の時ちょっと身近に接する機会があったんですが、はっきり言って現在の今上天皇陛下や皇太子殿下はメチャメチャ人格者です。キリストや仏陀の再来と思えるほどにね。でもそれは所詮彼らがそう望んだのではなくて、国家によって創られてしまったんだよね。人格が。可哀想と言えば可哀想だな。

 ちょっと脱線したけど、他に伝統的正当性ってない?家元制なんかもそうでしょう。お茶とかお花とかあるよね。そういう場合、その家元というか宗家の才能がすごいんじゃなくて、宗家の血筋がすごいだけって感じでしょ。僕が学生の時に同級生に生花の草月流ってのがあるけど、知ってる?そこの家元の孫かな。そういうのがおりまして、そいつ若くして生花デビューとかして、弟子とかいつぱいおんねん。でも、そいつの生けた花、どう見ても下手なのよ。っていうか素人っぽい。「こんなんだったら、うちのオカンとええ勝負ちゃう?」って感じ。そんでそいつメチャ字が汚い、っていうか幼稚なの。毎年年賀状のやり取りがあるんやけど、「お前、家元継ぐんやったら、まずペン習字習えよ。」って突っ込みたくなる。でもそんな彼にみんなペコペコしてんねん。不思議だよね。

 日本人ってこの伝統的正当性っていうのが好きやねん。最近思うんやけど、天皇制とか家元制度とかに対極する存在が部落差別でしょ。「根拠の無い尊敬と根拠の無い差別」どう?部落差別は根拠が無いから止めましょうって言うのなら、天皇制や家元制も止めるべきでしよ。理屈としてはね。その是非は別として。


カリスマ的正当性

 カリスマってのはラテン語で奇跡っていう意味です。まわりにおらんかな?「あの人だったら奇跡を起こすよ。」とか「彼だったら絶対やってくれる。」とか。おらんね。奇跡を起こす能力、そういう超人間的、超人的資質に基づいて権力を行使しているから正しいっていうのをカリスマ的正当性っていいます。

 歴史的には紅海を割ってユダヤ人を助けたとされるモーゼや、メチャメチャ戦争に強かったナポレオン。最近では毛沢東や金日成はたまた、オウムの麻原、或いは「メイクミラクル」っていう言葉を創った長嶋さんなんかもそうかもね。例えば巨人ファンの人なんか、長嶋さんが何か言ったら、その内容を吟味せずにそれが正しいんだって思うでしょ。カリスマ性を持った人が言う事は理論的に正しいかは別にして、正しそうに見えてしまうんだよね。そして、それに従ってしまう。それがカリスマ的正当性。


合法的正当性

 これは権力の行使が、治める者と治められる者との合意に基づく法に従って支配が行われている、だから正しいんだっていう概念です。いわゆる憲法で勉強する法治主義なわけ。(法の支配じゃないよ。間違わんといて。法の支配と法治主義の区別は非常に重要だからね。)行政法でいうところの法律による行政もこれに似た概念。

 政治家も役人も裁判官も法に則って権力を行使しているから従いますって感じ。例えば交通検問でドライバーが警官に従って車を止めるのは警官が警察官職務執行法っていう法律に基づいているから。サーキット場内で車を走らせて、レース中、警官に「そこの車スピード超過です!!止まりなさい!!」って言われても絶対止まらんよね。「こいつ何あほなこと言うてんねん。サーキット内は道路交通法の適用はないんやで。」で終わりでしょ。

 或いはAさんという国家公務員にBさんがペコペコするのは別にAが伝統的にすごいからでもなく、カリスマの保持者であるわけでもなく、国家公務員法の適用を受ける公務員であるからなんだよね。

 以上三つの正当性の契機を概観したけど、どれが支配者にとって都合がいいかな。安定しているのは伝統的正当性と合法的正当性といわれる。カリスマ的正当性は駄目。何故かって、その本人が一度でも失敗するともう終わりなわけ。だからカリスマ保持者は自分が失敗するのを恐れている。よって人前に姿を現さない場合もある。

 合法的正当性と伝統的正当性を併せたのがいいんだろうね。例えばこの国の権力者ってのは天皇の伝統的正当性を利用しているわけ。


威信

 さて、三つ目の権力の効率化の話に移っていきたいと思います。威信っていう言葉聞いた事ある?警察の記者会見なんかでよく出てこない?「警察の威信にかけて犯人逮捕に全力を尽くします。」ってな感じで。警察は全力で凶悪犯人を逮捕する訳やけど、なんで?って言うか、もし凶悪犯人を逮捕できんかったら、「なんや、悪い事しても捕まらんのや。ほなもっと悪い事しよか。」って事になるでしょ。そうすると社会が不安定になる。権力者の命令が行き届かなくなるわけ。そうすると権力者には都合が悪いよね。要するに権力者がなめられているわけだから。ということは「なめられてない状態」のことが「威信がある状態」ってことになるでしよ。威信とはなめられているか否かの問題。心の問題です。上下間の心理的格差。「お上には従います。馬鹿にしたりはいたしません。」ってこと。もっというと威信とは上下関係を心理的にはっきりさせる事です。

 治める側が上で治められる側が下だという心理的関係が出来上がれば、権力者は楽だよね。いちいち軍隊だの警察だのを使わないで済んじゃうわけだから。効率的に支配できるでしょ。「お役人様がおっしゃる事だから従わなくちゃ。」とか「おまわりさんには逆らえない。」みたいな感じですね。

 誰かから表彰される。或いは国家から勲章を授与される。こういうのも威信だよね。表彰された事ある?賞状なんかをもらう時、お辞儀をするでしよ。あれは表彰される側が下で表彰する側が上であるという意識が働いているんだろうね。だから中には勲章なんか辞退する人がいるでしよ。ほら、ノーベル賞作家の大江健三郎氏。文化熟章を辞退したんだよね。なかなか、かっこいいよね。普通は一歩間違えたら変わり者扱いかもしれんけど。


まとめ

 政治とは何か。権力とは何か。権力の行使は効率的になされなければならないっていう命題があって、その時出てくる概念が権威。そして権威を媒介するものとして、シンボル、正当性、威信の三つがあるということ。試験では三つのうち、二つのシンボルと三つの正当性がよく出題されます。威信についてはあんまり出ません。でも言葉の意味は覚えといて。前回と併せて復習しといてね。じゃあ、お疲れ様でした。

 

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