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目からウロコの 政治学入門

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目からウロコの政治学入門

公務員試験における政治学の比重

 さて、今日から政治学及び行政学の講義が開講されますが、カリキュラムはもうみましたか。政治学、行政学のコマ数は少ないねぇ。何故かってそれは市役所、県庁においては政治学、行政学の問題は2問程度しか出題されないから。でも油断は禁物。「政治学、行政学はサブの科目。」なんて思ってはいけません。国IIの試験では、民法や経済学同様、ちゃんと7問出題されます。


国II対策としての政治学の学習

 みんな、大部分の人が国IIを受験すると思うけど、6科目選択制って知ってるよね。13科目の専門科目のうち、任意に6科目を選択して受験できるっていう制度。まぁ、大抵の人が市役所や県庁との併願を考えて、憲法、民法、行政法、政治学、行政学、経済学を選択するわけだ。

 しかし、この6科目選択制が実施されてから国IIの試験における政治学、行政学は格段に難しくなった。一方で市役所や県庁はそうではなく、政治学、行政学とも基本的な問題(オープンセサミの問題集程度の問題)が出題されます。国税専門官も同様。そんなわけで、講義では難しいとされる国IIの試験を標準にすすめていきたいと思います。

 でもね、国IIの政治学、行政学が難しいちゅうてもウラがあんねん。数年前の国Iの試験から同じような問題が出題されるってのが最近の傾向。だから、講義においては国Iの問題演習に重点を置くことにします。

 まあ、1月の終わりくらいまで政治学、行政学の全体像を把握してその後国Iの過去問及び国IIの予想問題を随時、解いていくつもり。このメニューをこなせば市役所、県庁の問題にも十分対応できるようになるでしょう。


教材について

 みんな参考書と問題集を買ったと思うけど、さっき言ったような理由で問題集は基本的には使用しません。あくまでこれは県庁、市役所用ですからね。家庭学習に使って下さい。そんで、参考書ですがこれは、巻末の索引をフル活用しながら、問題を解く際に辞書代わりに使って。講義では随時確認問題を解いていくつもりなので、一応持ってきてね。1月末までのインプットの講義においては使いません。僕が作ったレジュメが中心となります。よろしく。


受験勉強における政治系科目の特色

 まあ特色と言ってもいろいろあるけど、一番大事なことは政治学、行政学といった政治系科目は法律や経済とは違って論理科学ではないということ。例えば民法なんかでは、総則が分からんかったら、物権や債権もなかなか分からんでしょう。経済でも需要曲線、供給曲線が分からんかったら次に進めないでしょ。ところが政治系科目はつまみ食いOK!!自分が分かるところ、興味があるところ、簡単なところ、試験に出易いところから勉強すればそれでいいわけ。だから講義でも出題可能性の高いところを中心に進めていきます。


政治学の体系

 僕は偉そうに法律をみんなに教えているけど(笑)、大学は法学部政治学科だったんです。政治学という学問に嫌気が差して大学院は法学研究科法律学専攻を受験したわけなんです。まぁ、それはいいとして大学時代教養科目は別として、専門科目で政治学っていう科目はありませんでした。政治学原論っていう講義はあったけどね。日本政治思想史、日本政治外交史、政治過程論、マスコミ理論、政治意識論、行政学、西洋政治思想史等の講義を履修しました。ちょうどみんなが持ってる参考書の目次の各章にもそんな感じの見出しが載ってるでしょ。つまり、各章に書かれていることが独立の学問として成り立つわけ。

 法律の分野において、政治学という言葉に対応する概念は法学という感じになるけど、公務員試験の専門科目に法学なんてないよね。あるのは憲法、民法、行政法…。

 もう、お分かりのように、公務員試験における政治学っていうのは学問の体系上は非常に広い訳です。そんで、行政学っていうのは政治学の一分野であるということ。さらに政治学っていう学問は社会学という学問に包摂される。これはまた後で説明するんで覚えておいて。


政治学とは何か

 例えば、我々が生活する世の中にはいろんな社会現象があるでしょ。不景気だとか、財政難とか、こないだの衆議院議員選挙で都市部では自民党が惨敗したとか、こういった社会現象について分析する。分析っていうくらいだから当然原因と結果に触れなきゃいけない。そんで出来れば将来の予測もしたい。こういうことが学問としての政治学だと、とりあえず思っておいて。

 但し、この社会現象の分析の仕方だけど、多種多様なんだよね。縦横無尽に分析が可能なわけ。例えば 年6月の衆議院選挙で自民党が都市部では惨敗を喫したという社会現象についてみると選挙民の投票行動を中心に分析する学者がいれば、政党の政策を中心に分析する学者も存在するわけで、或いは日本政治史上の位置づけから分析してもいいわけです。だから学者にとって捉え方が様々なわけ。ここが法律学と違う。すわわち法律学者は社会現象を法的観点からしか分析しない。分析の仕方は同じなわけ。基本的にはね。だから法律学においては通説ってな概念が出てくる。学者が10人いれば8人くらいが賛成している考え方です。だから法律を勉強する上では通説若しくは判例を理解しておけばOKなんだよね。

 しかし、政治学にはこの通説っていうやつがない。政治学者の分析方法はみんな違うからね。政治学者の本なんかにはよく、政治学は百人百説だ、なんて書いてあります。だから、試験には現在の学者の見解は出ない。っていうか出しようがないよね。

 じゃあ、どこが出るかって言うと、全ての学者が享有している部分。これを享有事項と名付けましょう。Aという社会現象には甲という分析方法がある、それはそれでいいでしょう、ってのが享有事項ですね。例えば現在社会は行政国家現象であるっていうのがそうかな。

 それから歴史。だって歴史っていうのは事実ですから、誰が分析したってそんなには変わらないわけでしょ。或いは制度。各国いろんな政治制度があるけど、人によって見方はかわらんよね。アメリカが立憲君主制だ、なんて言う人おらんでしょ。まぁ、客観的に見て、ああこういうもんなんだなって言われる部分、すなわち享有事項。これが出題されます。他は出題のしようがない!!享有事項っていっても僕が勝手に言っているだけなんやけど。


政治とは…闘争である

 政治って聞いて何をイメージする?こないだの内閣不信任案決議の国会中継みた?野党は森内閣のことをボロカスにけなすし、与党はそれを論破しようとするでしよ。挙げ句の果ては水までぶっ掛けるしね。ほとんど喧嘩。っていうか闘争。政治とは闘争である。これが政治のイメージその(1)です。

 ところで政治とは搾取される労働者階級(プロレタリアアート)と搾取する資本家階級(ブルジョアジー)間の闘争であるって定義付けたのは誰?これは結構有名だよね。K.マルクス(カール.マルクス)。僕が大学1年生の時の夏休みに教授から「何でもいいから政治学の本を一冊読んでレポートを書きなさい。」って言われて読んだのか彼とF.エンゲルス(フリードリッヒ.エンゲルス)の共著の『共産党宣言』っていう本でした。でも誤解せんといて。別に僕は共産党員でもなんでもないから。その本めちゃ薄かったんや。そんで選んだんやけど、夏休みに実家に帰ってその本読んでた時の親の狼狽振りはおもろかったね。「息子が左翼になってもた!!」なんて。

 それから闘争と関連して、政治とは誰が敵で誰が味方なのかを見分けるものだっていう見解があります。こういうのを友敵関係って言う。これはC.シュミット(カール.シュミット)の見解。覚えといて。この人はドイツの憲法学者であり、政治学者でもある人です。特に憲法学者という点で有名です。でもこの人はナチスの時代の人で彼の見解はナチスに利用されてしまう。そんで戦後は学問的に糾弾されてしまうんです。まぁ最近は彼の見解を見直す学者が多いですけど。試験ではあんまり出ません。

 また、政治っていうのは暴力中の暴力(軍事力)と捉える見解があります。これはマキャベリ。『君主論』っていう本を書いた人。ちなみにこの人の見解(いわゆるマキャベリズム)のキーワードは狐と狼です。後で詳しくやります。

 まぁ、政治とは闘争であるって捉える見解に立つこれら三人の学者は覚えておいて。


政治とは…社会的価値の調整である

 他に政治に関するイメージってない?経済で累進課税制度って習ったでしょ。要するにお金持ちからはいっぱい税金取って、所得の低い人からはあんまりとらないってやつ。お金持ちから取った税金はどうなるの?建前的には所得の低い人に分配されることになるんだよね。その例が生活保護。だから経済の教科書なんかには「所得税は所得の再配分機能が存する。」なんて書かれていたりする。じゃあ、誰にいくら分配するか、それを決めるのが政治なわけです。政治とは社会的価値の権威的配分であるっていう説明の仕方がなされますけど、この論者はD.イーストン(デビッド.イーストン)。この人は1960年代のアメリカの有名な政治学者でアメリカの政治学会の会長なんかを歴任しています。どうでもええけど。

 ところで、社会的価値って何?読んで字の如く、我々の生活する社会の中で認められている価値。みんなが欲しいもの。なんでしょう?まぁ、取り敢えずお金としておきますか。他には?健康ってのがあるよね。みんな健康でいたいでしょ。あと、地位とか名誉なんかも欲しい人いっぱいおるんちゃう?僕はあんまり興味ないけど。お金と健康は欲しいけどね。正直なところ(笑)。

 こういうものを政治の力で配分してるわけ。え?健康はどうやって配分するのかって?ほら、健康保険があるでしょ。健康な人からお金をとって病気の人がそのお金で治療してまた、健康になる。そういう感じで健康は配分されているわけ。先日もその配分の仕方すなわち、医療保険法が改正されたよね。

 それから名誉。これも配分されてるでしょ。春と秋に叙勲なんてのがあるよね。勲3等紫綬褒章だの黄綬褒章だの藍綬褒章だの。あれって勲記と勲章がもらえるんだけど、如何せん人数が多いでしょ。だから勲記を配るのなんて皇居に行くバスのなかで配るらしいよ。レジュメじゃないやから〜って突っ込みいれたくなるよね。僕の親戚でT市の議長してたおっさんがおんねんけど、おっさん二回勲章をもろて二回皇居に言って宮さんと話したとか言って自慢ばっかりしてるやけど、まぁ権威的配分に浴してるわけやな。国家に躍らされとんねん。まぁ、国家は勲章や宮さんを権威付けのために利用してるわけや。

 地位の配分ってのも同じ。説明は止めときます。ちょっと毒舌パワーに火ィつきそうやから。


折衷説

 今まで政治とは闘争である、という考え方と社会的価値の配分であるという考え方の二つを紹介してきたけど、両者を併せたような見解もある。つまり政治とは権力闘争であると同時に社会的価値を配分するものであるという考え方。権力の形成と分配っていう見解。この見解を唱えているのはH.D.ラズウェル(ハロルド.ドゥワイト.ラズウェル)。やっぱりこの人もアメ公おっとアメリカ人でございます(笑)。


権力論I(実体論)

 政治に関する定義を一通り概観したけど、何の為に闘争するの?自分の価値観を他の人に理解してもらうというか押し付けるためでしょ。要するに偉そうにしたいんだよね。権力を握りたいため。或いは社会的価値の権威的配分と聞いてどう思う?配分すんのはええけど、なんか高飛車な、権力的な印象を受けるよね。

 ってことで、政治の次は権力論について話します。先ずはイメージ学習から。

 例えば、交通検問。車なんかを運転していて国家権力の一端を担っている警察官が「そこの車止まりなさい。」なんて言われたらみんな止まるでしょ。何で?怖いから?警察官は武装しているからね。拳銃や警棒持ってるし。六尺捧持ってる警官もおるよね。物干し竿を短くしたようなやつ。どうでもいいけど、あの拳銃には実弾が入ってるんだよ。警察官には拳銃の装填義務なんてのがある。6発のリボルバーの拳銃に5発入れてるらしいよ。まぁ警察官は暴力の保持者なわけ。だから怖い。だから交通検問では止まる。こういう暴力というか武力のことを物理的強制力という。この物理的強制力をはじめとする社会的強制力を独占するところに権力は生まれるという考え方があって、こういう考え方を権力の実体論、或いは実体的権力関係とも言います。

 それで、物理的強制力(暴力)以外の社会的強制力ってどんなのがあるかというと、例えば経済的強制力。言うこと聞かなかったらお金を取るぞ、とか言うこと聞いたらお金あげるよって感じだね。我々も反則金払うのが嫌だから交通ルールを守ったりしない?

 他には心理的強制力ってのがあります。怒られるのが嫌だから従いますよって感じ。

 まぁいろんな強制力がありますが、こうした強制力を独占するところに権力が生まれる。この国ではこうした強制力を独占しているのはどこ?国家だよね。自衛隊あり、警察ありって感じで物理的強制力を持ってるし、国家はお金も握ってるでしょ。

 こういった実体論を唱えているのがラズウェル。ラズウェルはこの権力の基礎として8の要素を挙げていて、これをパワーベース、又は基底価値と呼んでいます。一般に基底価値として考えられるものは前述のように武力と経済力ですが、ラズウェルは権力、尊敬、得、愛情、健康、富、技能、知識を挙げるわけ。これら全部は覚える必要は無いけど、8という数字は覚えておいて。  それから、実体論を唱える学者には『パワーエリート』を書いたC.Wミルズって人がいます。この人はエリート論のところでも重要です。他にはマキャベリやマルクスなんかも実体論。


 権力論II(関係論)

 交通検問で停車する理由として他にどんなんがある?「やくざのハジキは怖くないが、おまわりさんに命令されちゃしようがない。」って感じかね。じゃあ、何で、しょうがないんだろう。その警官が偉いから?怖いから?違うでしよ。警官だからなんだよね。もっと言うと制服着てるからなんだよね。制服きてなきゃ止まらないでしょ。だって警察官だって分からんからね。警察という組織があって物理的強制力をはじめ社会的強制力を持っている。だから従う。それが高じるとあの制服を着ている人に何か言われると従ってしまうんだよね。そういうことが心にしみ付いてしまう。その人の心の中に権力が生じてしまうわけ。つまり、人と人との関係から権力が生まれる。こういう考え方を関係論、若しくは関係的権力論という。つまり、命令に従う人間と命令する人間との関係において、命令に従う人間のほうが「この人は権力者なんだ、権力を持ってるんだ。」と認めたところに権力が生まれるというわけ。この立場を採っているのがR.Aダール(ロバート.アラン.ダール)。もし、みんなの中で「俺は東京で働きたいんだ。」なんて都庁や特別区を受ける人がいたらダールは頻出だよ。「他からの働きかけがなければBがしないであろうことを、AがBに行わせることができたとき、AはBに対して権力を持つ。」こういう定義の仕方があるんだけど、これ非常に大事です。この文章がそのまま出たりします。例えばいじめっ子がいじめられっ子に対して、「ちょっとお前、俺にジュース買ってこい。」って言って、いじめられっ子が「はい、分かりました。」って買いに行くとき一種の権力関係ができたって説明するわけ。


まとめ

 政治とは何か?闘争であるという見解と社会的価値の配分という見解の二つに大別されるし、一方、権力という概念も実体論と関係論に分けられる。じゃあ、どっちが正しいんだろう。始めに説明したように政治学って社会現象を分析する学問です。だから、その分析する社会によって変わってくる。不安定な社会を分析する時は闘争とか、実体論とかが前面に出てくるけど、安定した社会においては社会的諸価値の配分とか関係論がクローズアップされるわけ。

 でも、安定した社会がいいに決まってるよね。権力者も権力を行使する際に実体論において物理的強制力をちらつかせるよりも、相手が素直に従ってくれる方がいいわけ。だって物理的強制力を行使するには手間ひまがかかるからね。そういうわけで関係論的に権力を行使したいわけ。そんな感じで権力の効率化という点に僕の話は移っていきます。

 

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